宗泉院 由来


 宗泉院(そうせんいん)は、山梨県韮崎市にある曹洞宗の寺院である。
 山奥にひっそりと佇む様子から、地元の人たちから「山ン寺」(やまんてら)と呼ばれている。
 宗泉院の創建は不詳だが鎌倉時代初期に円井十郎光経(武田五郎信光の末男、武川衆)が開基となり、真言宗 瑞光寺と称していた。
 現在、甲州88所霊場巡礼第43番礼所とされている。

所有物

山本勘助供養塔

 山本勘助は天文12年(1543年)に武田信玄の家臣となり、宗泉院付近の地区を領地としていた。
 永禄4年(1561年)に第四次川中島の戦いで上杉謙信軍に敗れ戦死した時に、その死を知ったこの地域の人々が生前の恩に報いるために供養塔を建立した。

文化財 雲版(うんぱん)

 寺蔵の雲版は面径48cmの銅製で質量役10kgであり、至徳2年(1385年)銘がある。
 雲版は火版とも呼ばれ、中国から日本は伝来し禅宗のほか浄土宗・天台宗・日蓮宗など各宗にわたって広く用いられた。
 曹洞宗では、現在も永平寺・總持寺では斎粥・法要の進退合図に用いられている。
 昭和39年(1964年)11月19日に山梨県文化財に指定された。

年間行事

2月 延命厄除地蔵尊例祭
3月 大般若会
4月 延命子育地蔵尊例祭
8月 棚経
9月 施食会

  • 9月 施食会

  • 3月 大般若会

逸話 泥棒地蔵

 昔、ある泥棒が宗泉院の財宝を盗んで山を降りようと門前の地蔵の前まで来た。しかしこの地蔵の前を通ろうとした途端、手足が動かなくなり進めなくなってしまった。
 泥棒は盗みを働いたことを後悔し、地蔵の前に盗んだ財宝を置いて深く懺悔すると、再び手足が動くようになった。
 これはご開山様である悦堂和尚が、この地蔵に盗難避けの呪術を施したためと言われている。

お気軽にお問い合わせください。

powered by crayon(クレヨン)